だいたい正しそうな司法試験の勉強法

30代社会人。「純粋未修」で法科大学院に入学し、司法試験に一発合格。勉強法・書評のブログです。

憲法の書き方4(正当化・判例はしご)

これまでのまとめ

 たすまるです、こんにちは。書く書く詐欺でなかなか書かなかった、「憲法の書き方」シリーズの第4弾であり、答案の「本丸」でもある「正当化」について検討してみます。これまでの検討を簡単に整理しておきます。

  1. リーガル・オピニオン方式だろうが、主張・反論方式だろうが、書くべき内容は判例と学説についての基礎的な理解(憲法の書き方1(出題形式への対応)
  2. 条文(権利)選択がフワフワしてしまうのを回避するためには、①原告の求めるもの、②勝ち筋かどうか、③引用できる判例、を意識する(憲法の書き方2(条文・権利選択)
  3. 正当化の要件がフワフワしてしまう(以上をまとめて二重のフワフワと呼んでいた)のを回避するためには、条文の要件該当性ー保護範囲&制約を丁寧に検討する(憲法の書き方3(保護範囲・制約)

 ふーむ。筆者が2万字くらいにわたり延々と論じてきたことが、7行でまとまりました。なんとなく残念ですね。やっぱり枚数書けば良いってものではないです。

基本的な考え方

 さて、前回記事でも述べた通り、保護範囲&制約セクションは、「正当化事由への階段」ー正当化要件設定機能があります。という訳で、保護範囲&制約を丁寧に検討すれば、正当化要件は自動的に決まるはずです。というか、そうでなければ保護範囲&制約を丁寧に論じる必要がありません。この「正当化要件の設定」というメリットがあるからこそ、保護範囲&制約+審査基準、というハイブリッド審査基準論をとっているわけです。

 という訳で、くどいですが「保護範囲&制約を丁寧に検討すれば正当化要件(の寛厳)は自動的に決まる」という意識それ自体が、フワフワな正当化要件を回避する上で最も重要です。下記、どういった意味で「正当化要件は自動的に決まる」のかを具体的にみていきます。

学説 審査基準論(原則?)

 前回の記事でも述べた通り、❶重要な権利に対する、❷強度の制約であれば、❸より厳格な正当化要件(審査基準、重みづけ、比例原則)が課される、ということについては一致した理解があります。

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 審査基準論でいうと、一般的には、厳格な基準、中間の基準、緩やかな基準があると言われている訳でして、これを簡単なマトリックスにまとめると、こうなります。

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 うーん、なんてシンプルなんだ。こんな簡単で良いのかよ、という感じがしますが、まずは、このように権利の重要性、❷制約の強度から、審査基準はこうなるはずだ、という演繹的な思考を頭の中に描いておくことが重要です。なお、重要度の高い権利に対しては、どんな制約でも厳格に審査すべきだ!という考え方もあり得ることから、上記のマトリックスの「左下」には※を付しています。もっとも、このような理解を直ちに答案に表現する必要はありません。帰納的な思考ー判例はしごによる矯正を施すからです。

 なお、各審査基準の具体的要件ーcompelling interest をどう訳出するのか、等は基本書等で参照して下さい。私のなんとなくの理解は、

  • 厳格な基準
    →明白かつ現在の危険の基準、厳格審査基準〔やむを得ない政府利益+合理性+必要性(過大包摂&過少包摂禁止)〕
  • 中間の基準
    →厳格な合理性の基準〔重要な政府利益+合理性+必要性(過大包摂禁止)〕
    ※精神的自由であれば違憲推定、経済的自由であれば合憲推定
  • 緩やかな基準
    →合理性の基準〔正当な政府利益+合理性+利益の均衡〕、明白性の基準

 というものです。ポイントとしては、これらの要件の理解の些細な違いは、得点に大きな影響を与えるものではない、と(私は思う)ということです。多少、要件の文言が異なってもあてはめが大きく変わることはありませんし、そもそも司法試験は、純粋なアメリカ憲法学の知識を試す試験ではないからです。もっとも、判例に依拠した基準は、正確な記載が求められることはもちろんです。

判例はしご論(例外?)

 このままあてはめに突入しますと、原告・厳格な基準、被告・中間の基準という学説vs答案の出来上がりです(憲法の書き方1(出題形式への対応) 参照)。それはそれで良いのですが、せっかく憲法判例を学んだので、使ってみましょう。使い方の一つ目が、上記の演繹的導出ーゴリゴリの審査基準論の「補正」です。

1.審査基準の補正

 「判例はしご」というと、なんだか名人芸の香りが出て「自分にはとても無理!」と考えがちですが、そんなに難しいとは(筆者は)思いません。まずは、判例を以下のようなフォーマットの要旨にまとめます。

〇〇判例は、❶という権利に対する、❷という制約に対して、❸という規範(要件)で判断した

 これを薬事法違憲判決にあてはめてみますと、

薬事法違憲判決は、❶職業選択の自由に対する、❷距離制限という客観的要件に基づく許可制という制約に対して、❸LRA類似の要件で判断した

 と、こんな感じになります。このような理解を、先ほどの審査基準マトリックスに重ね合わせてみます。

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※2021年8月17日 図が間違っていたので、差し替えました

  • 審査基準論(二重の基準論)の原則
     職業選択の自由は、純粋な精神的自由ではなく、制約に対する民主政による回復が期待し得る。また、経済的利益の調整は、裁判所よりも立法府が適任である。※適任機関論―規制目的二分論 従って、重要な政策利益に対し、合理性・利益の均衡が認められる手段であれば、制約は正当化できる。

  • 薬事法違憲判決による補正
     職業選択の自由のもつ、自己実現の利益は精神的自由に通ずるものであって、権利の重要性は高い。自分ではどうしようもない客観的要件(距離規制等)により、これを事前規制(許可制)しようというのであれば、より緩やかな代替的手段の不存在がなければ、制約は正当化できない。

 つまり、薬事法違憲判決の判旨を引用することで、緩やかな基準が中間の基準にランクアップ!するというイメージです。このように、審査基準論による原則、判例による補正、という書き方をとることで、本記事冒頭の「これまでのまとめ」で述べた判例と学説についての基礎的な理解を示すことができます。平成30年司法試験・憲法であれば、岐阜県青少年保護育成条例事件判決(伊藤補足意見)のパターナリズム的な考え方の引用により、審査基準は緩めることができる、という方向に補正されるわけですね。

 なお、原則と例外(補正)は別にどっちがどっちでも構いません(学説の判例のどちらが正しい、ということはないため)。普通の書き方としては、自分のとろうと思っている結論の方を例外(補正)とするのが書きやすいでしょう。

 ところで、なんで判例「はしご」って言うんですかね。上記のマトリックスのように矢印で表現すると、確かにはしごみたいですが。

2.目的手段審査が使えない場合

 判例の使い方のもう一つが、そもそも審査基準論が使えない場合への対応として判例を用いる場合です。巷間語られる通り、審査基準は何でも切れる万能ナイフではありません。

 審査基準論で登場する「基準」の主役はある「法令」を政策目的と手段に分解する、という目的手段審査基準です。でもって、手段たる法文の目的合理性が無いじゃないか、だとか手段が目的に対して過度に広汎だから合憲限定解釈しろ、とかやるわけです。このように目的手段審査は、広義の法令違憲ー違憲の政府行為の原因が法令にある場合(駒村先生の用語法によると違憲の帰責点がある場合)に用いられるものです。エホバの証人剣道拒否事件のように、法令自体の違憲性が争点とならない場合ー処分違憲の場合は(行政法で習った通り)行政庁の裁量審査など、他の方法がとられます。

 という訳で、法令の違憲性が問題とならない場合は、目的手段審査が(原則として)使えないため、あまり学説を書けないー判例を引用すべき必要性もグッと高まります。典型的には、名誉棄損 vs 表現の自由の相当性の法理などです。もちろん、審査基準論が使えない≠学説を書いてはいけない、ということではないので、明白かつ現在の危険の法理など、依拠できる学説はどんどん引用すべきです。

 

太地町立くじらの博物館入館拒否事件

 このように、保護範囲&制約セクションの分析結果を利用して、学説&判例から事案に応じた正当化要件を設定する、というのが基本的な考え方です。習うより慣れろ!で、お手本のような「保護範囲&制約→正当化要件の設定例」を見てみましょう。下記記事でも触れましたが、特に、理解が難しい公法判例においては、判例の思考過程・枠組みを追体験することが重要です。

 好個の事例が、「太地町立くじらの博物館入館拒否事件(和歌山地裁・平成28年3月25日 平成28年度重要判例解説 憲法9)」です。憲法判例の射程の書評でも軽く触れた事件ですね。下記は簡単な要約引用に留まりますが、論理の組み立て方、判例の引用の仕方が非常にわかりやすい判例ですので、最低でも重判を読んでみることをおススメします。

事案

 原告Xおよびその父Aは、オーストラリア人のジャーナリストであり、イルカの処遇改善を目指すNPO法人を設立した。古式捕鯨で有名な被告Y(太地町)は、捕鯨を町の基幹産業としており、クジラ・イルカの資料の収集・展示などを目的とする本件博物館を設立・運営している。

 平成26年2月5日、XとA、オーストラリアのドキュメンタリー番組のクルーらは本件博物館に入館し、事前の許可なく館内で撮影・取材した。その際、副館長に責任者などを尋ねられたが、何も答えずに退館した。同撮影に対して苦情等はなかった。

 同月9日、XとAは本件博物館を再訪した。Xらは反捕鯨団体を示す服装をし、Aは眼鏡に取り付けた小型カメラとハンドカメラを、Xはカメラ付き携帯電話を持ち、これらで撮影しながらの再訪だった。博物館長は、Xらが4日前に来館した団体の一員であることを認識し、博物館職員に入館拒否を指示した。職員はXらの入館を拒否した。

※入館拒否の根拠条文(要旨)
 本件博物館条例 10 条各号によれば、「公安又は風俗を乱し、その他、他人の迷惑になるおそれがあるとき」や、「その他管理上支障があると認められるとき」は博物館は入館を拒否できる。

 Xは、本件入館拒否によって精神的損害を被ったとして、慰謝料を請求する訴訟を提起した。

判旨

条文選択

 裁判所は弁護士の主張につき判断するので、どの条文かを選択することはできません。事案の事実に鑑みれば、憲法21条で保護されそうな情報摂取の自由の制約がある、と構成するのが①原告の要望にも沿い、②強い権利であり、③よど号事件判決など、判例の引用もできそうだ、と考えられます。

保護範囲について

(1)およそ各人が、自由に、さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を
形成・発展させ…(中略)民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも必要なところである。

 (中略)意見、知識、情報に接する自由が憲法上保障されるべきことは、思想及び良心の自由の不可侵を定めた憲法 19 条の規定や、表現の自由を保障した憲法 21 条の規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところである(最高裁昭和 58 年 6 月 22日大法廷判決・民集 37 巻 5 号 793 頁参照)。

→ よど号記事抹消事件判決を引用して、情報摂取の自由の権利性を、その保護の根拠からしっかりと認定しています。「派生原理として当然に導かれる」という同判決の表現からは、スピーチ等の核心的な表現の自由に比べて、❶権利の重要性がやや落ちる、という理解が一般的です。

(2)本件博物館は、地方自治法 244 条 1 項にいう「公の施設」であり、一般公衆に展示物等を見せることで教育に資することなどを目的とする公的な役割を果たす場であり、世界最大の鯨類の博物館であるから、本件博物館に入館して、その展示物等を見ることは、情報を摂取する行為として重要な意義を有しているというべきである。(中略)

 原告は…イルカに対する取扱いを改善することを目指して活動をしており、本件博物館の展示物等から得られる情報は、原告の反捕鯨の思想に密接に結びつくものというべきである。よって、本件入館拒否の国家賠償法上の違法性の判断に当たっても、この情報を摂取する行為の尊重等、これら憲法上の価値を十分に考慮すべきである。

→ 権利の重要性について述べる、非常に重要な部分です。これがあるのと無いのとでは、答案の評価が大きく異なります。
 前段は、本件博物館がそもそも一般公衆に対する情報提供を目的として設立された場所であり、そこでの❶情報摂取の権利性が一般的・抽象的に高いことを述べています。パブリック・フォーラム論の情報摂取版、という感じですね。
 後段は、本件の具体的事実関係の下では、イルカ等の情報を摂取することが、自己実現・自己統治という情報摂取の自由の保護根拠に照らし重要である、として❶情報摂取の権利性が個別的・具体的に高いことを述べています。憲法19条を援用した趣旨もここにあるでしょうか。権利性に対するこれらの高い評価が、後述の通り、正当化要件ー審査基準に反映されてきます。

制約について

 本件入館拒否により、現に、原告は、本件博物館の展示物等を見ることが全くできなくなっているから、本件入館拒否は、原告の情報摂取行為を制約するものである。

→ シンプルに❷直接的な制約を認めています。実際には「捕鯨反対の方は入館できません」というプラカードを呈示したりしていますので、何をもって制約ありとするかを丁寧に認定する事案もあります。

正当化の要件について

 情報摂取行為は、生活の様々な場面において、極めて広い範囲で行われるものであって、その制限が絶対に許されないものとすることはできず、それぞれの場面において、これに優越する公共の利益のための必要性から、一定の合理的制限を受けることがあることもやむを得ないものといわなければならない。

→ 答案上も、公共の福祉による制約はごく簡単に述べておいた方が良いです。「一定の合理的制限」って使いやすい言葉ですね。

 本件博物館条例 10 条各号…の解釈に当たっては、(中略)情報摂取行為の尊重を憲法が要請していることを考慮する必要がある。そうすると、本件博物館条例10 条の『その他、他人の迷惑になるおそれがあるとき』(1 号)及び、『その他管理上支障があると認められるとき』(3 号)とは、単に管理の支障が生じる一般的・抽象的なおそれがあるというだけでは足りず、具体的事情の下において、管理の支障を生じる相当の蓋然性がある場合に限ると解するのが相当である(本件判例参照)

 やってきました、❸正当化要件ー審査基準の定立です。本件判例参照(この「本件判例」は、原告側の主張に基づくもの)、で理由付けが終わっていますが、これは裁判官だから許されるのであって、答案上は丁寧に論証しなければなりません。

 本件判例、とは泉佐野市民会館事件(最判平成7年3月7日)と、上尾市民会館事件(最判平成8年3月15日)ですので、これらの判決と本判決の基準がどのような関係にあるのか、どのように本件の審査基準に影響を与えているのかを検討してみましょう。判例の「行間」を読む作業です。

判例はしごの具体的方法

類似判例をマッピングする

 まず、泉佐野市民会館事件と同様、❶憲法21条1項の保障する権利に対する、❶'公の施設の使用における、❷管理権者による制約が問題となった判例を脳内に思い浮かべてみます。

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  こんなところでしょうか。なお、数字はテキトーにふった「得点」で、高ければ高いほど審査基準(密度)が厳格となります。D・市議会委員会傍聴不許可事件判決は、下記記事でも少し触れた通り、「判例から考える憲法」や平成19年重要判例解説に掲載されていますので一読を勧めます。これらの他には、呉市中学校使用不許可事件等がありますね(ケースブック行政法〔第6版〕などに掲載されています)。

❶権利の重要性

 まず、A判決は明文で認められた集会の自由が問題となっており、やはり一段階強い権利と言えそうです。もっとも、X本件判決も、上記の判示通り、個人の思想に密接に結びつく(だから19条も援用?)という訳で、よど号で認められた閲読の自由と同等か、それ以上の要保護性があると言えそうです。

❶'目的関連性・公開性

 はて?そんな用語あったかな、と思う方もいらっしゃると思いますが、上記の通り、これらの事件はいずれも❶'公の施設での制約が問題となっています。つまり、純然たる防御権(自由に対する侵害)ではなく、設置された公の施設での自由が問題となっています。いわゆる「設営された自由」として、権利の重要性が変動すると解されるのです。そうすると、次に事案ごとの相違点として着目すべきなのが、そもそも原告のような人々に使用させる・公開することを目的として設置された施設かどうか、という「目的関連性・公開性」(筆者の造語)です。

 この点で、上記の呉市中学校使用不許可事件や、C・天皇コラージュ事件、D・市議会委員会傍聴不許可事件は、「そもそも原告のような人々に使用させる・公開することは想定されていない」という施設で、かつ、「そのような不許可・非公開という制度自体も憲法に反しない」と判断されたため、点数が下がっています。Cの判断には批判も多いところで、気になる方はぜひ勉強してみて下さい。

❷管理のための裁量

 公の施設ですから、当然管理者がいます。管理者がいますから、当然その管理権には一定の裁量がありそうです。という訳で、その裁量の種類、広狭も問題となります。Bよど号事件判決では、刑事施設の長には広い裁量を認めざるを得ないことが、「相当の蓋然性」という基準の引き下げに寄与していると考えられます。

❸審査基準(正当化要件)を決定する

 以上の整理からは、X本件は、「A>X>B」、または「B>X>C」という基準(要件)が採用されるべきだ、ということになりそうです。そして、本件類似の判例の基準は原則として、

  • 制約目的ーすなわち、施設の管理・運営のため、という目的が正当であることを前提としつつ
  • ①危険/障害のレベル(明白かつ現在の危険>放置することのできない程度の支障≧管理運営上の支障)→ 高ければ高いほど、厳格な基準といえる
  • ②危険/障害発生の蓋然性(具体的に予見>相当の蓋然性>蓋然性>一般的・抽象的なおそれ)→ 高ければ高いほど、厳格な基準といえる

 という構造をとっています。そうすると、仮にX本件が「A>X>B」という事案であるとするならば、①博物館の管理・運営上放置することのできない程度の支障を生じる、②高度の蓋然性があると認められることが必要、等の基準がとられるべき、ということになりそうです。そして、実際に本件判決は、これにかなり近い(やや緩やかな)基準を採用した、という訳です。

 なお、本件判決は、結論として管理の支障を生じる相当の蓋然性があったとは認めず、入館拒否を条例の要件を欠く違法なものとしており、論理展開・結論・損害額を少額に押さえた判断も含めて、非常に良く出来た憲法判断であるように思います。

補論・判例のストック方法

 このように、学説ー純粋な審査基準論だけでなく、判例はしごー類似する判例に依拠して正当化要件を導出することで、答案がずいぶん面白く、説得的なものになります。❶保護範囲✕❷制約=❸正当化要件、というマトリックスが、ぐっと精緻になるからです。上記の太地町くじらの博物館入館拒否事件判決も、保護範囲のところでよど号事件、正当化要件のところで泉佐野市民会館事件、と適切(と筆者は思う)な判例を引用しています。

 この正当化要件のマトリックスの全てのセクションにおいて、常に、類似する判例に依拠できないかーと探す意識を持っておくことが重要です。それゆえ、普段の学習から、ある判例がどんな事実関係に対して、どんな判断をしたのか、どういった事実関係の場合にまでその判断が及ぶのか、という「射程」を意識することがとても大切になります。そういった意味で、「憲法判例の射程」をおススメしているという訳です。

マトリックスにまとめ直す

 「憲法判例の射程」は、判例法理とその射程を十分判断し得る「グルーピング」をその特徴としていますが、それでもまだ判例の射程が腑に落ちない場合は、筆者の整理のように、各論点(上記であれば「表現の自由と公の施設の使用」等)ごとに❶権利の重要性にかかる諸条件✕❷制約にかかる諸条件=❸審査基準(正当化要件)といった形で、マトリックスにしてまとめておくのも良いと思います。さすがに憲法の全分野でこれをやると時間的に死にますので、筆者は「ヤマ」だなと判断した論点のみ、マトリックスを作成していました。

セクション別にストック

 もう一つは、❶保護範囲にかかる判示、❷制約にかかる判示、❸正当化要件にかかる判示、と判旨のうち重要な(自分が答案にそのまま書く)キーワードにナンバリングをしておく、という方法です。これだけで、「正当化要件導出のための掛け算」の意識が高まり、試験のときに「保護範囲に入るかどうかって微妙だけど、〇〇判決がこういう判示してたなぁ…」と思い出す可能性が出てきます。

 …以上、今回も大変長くなりましたが、「憲法の書き方」シリーズはいったん終わりかな、と思っています。憲法答案のあてはめが、他の教科と違って独特や~という風には考えていないからです。「いやいやいや、全然わかんねーよ!」という方は、ぜひ「(憲法の書き方5で)こんな事書いて」とコメント下さい。実際、本ブログの記事の元ネタのほとんどは、読者の皆さんのご意見ご質問コメントからです。

 明日から海外出張なので、とりいそぎ!