だいたい正しそうな司法試験の勉強法

30代社会人、妻子あり。「純粋未修」で法科大学院に入学し、平成30年司法試験に一発合格。勉強法・書評のブログです。

憲法の書き方1(出題形式への対応)

※4月6日1時 よりわかりやすくするために、加筆修正しました

 行政法と並ぶ「書き方わからん科目」、憲法。本ブログでも書き方を教えて〜というコメントがありましたので、筆者の考え方を紹介します。なお、筆者もそんなに憲法が好きではありませんでしたので、どちらかというとコスパ重視の書き方、考え方になると思います。

憲法答案を書く難しさ

 そもそも、なぜ憲法は難しいのか。毎度の事ですが、理由を考えておくと、後々役立ちます。主な理由は以下の3点かと思います。

1. 自由度が高すぎる

 憲法の答案は、型が定まっていないー他の教科と比べて大幅に自由度が高い、と思われています。どうやって問題提起するの?規範定立するの?あてはめるの?と困った受験生が、古い予備校本の参考答案を暗記して再現しても、なぜか良い点数がつきません。「じゃあどうやって書けばいいんだよ!もう憲法は適当でいいや」となるのが、だいたいのオチです。

2. 判例の使い方がわからない

 次の問題は、判例学習です。他の教科は、ある判例がどういう規範を定立したのか、どういった事案にその規範が及ぶのかがはっきりわかる状態で判例を学んでいきます。また、判例に対する評価も(諸説あるものの)、概ね学説でも受け入れられており、判例法理を踏まえた体系が構築されています。

 一方で憲法は、大量の判例を読むものの、どういった事案に適用すべきか、というアウトプットを意識した学習はあまり普及しているとは言えません。判例と学説が鋭く対立するシーンも多く、受験生としてはどちらの考えに依拠すべきなのか、よくわかりません。なお、憲法の判例学習のコツについては、こちらの記事で詳説しています。

3. 出題形式が独特

 最後に、憲法は出題形式がやや変わっている、という問題もあります。一昨年までの、主張ー反論ーあなたの見解方式、もそうですし、昨年の法律家の意見方式(大島先生の用語法に沿って、以下リーガル・オピニオン方式といいます)、もそうです。頑張って型(1.)を身につけたのに、変わるんかい。信義則に反するわ、と感じる受験生も多いでしょう。

さて、以上をまとめると、憲法答案の難しさを軽減するには、

 様々な出題形式に柔軟に対応でき(3.)、かつ判例を活かせる(2.)処理パターンを確立させること(1.)が必要となります。1.と3.は矛盾しているんじゃないか、とも思われますが、そんなこともないと思います。

まずは、出題形式を把握

 初回の記事は、3.出題形式からみていきます。憲法に限らず、出題形式には、出題者がどのようなことを書いてほしいのかー出題趣旨があらわれます。まず、「何を書くべきか(What)」を、3.出題形式から把握します。これがわからないと、「どう書くべきか(How)」はわかりようもないので、重要です。次回以降は、Howについて、2.判例の使い方、1.具体的な処理手順、と進める予定です。

主張・反論形式

 さて、これまでの出題形式である、主張・反論形式を分析します。事案に即した原告の主張、被告の反論、あなたの見解、という3つを書きなさい、という有名なやつです。わかりやすくするために、判例から考える憲法の事例1(以下、本件事例という)をお借りして、保護範囲の問題ー地方議会(委員会)の傍聴の自由が憲法21条によって保護されるかーを題材としてみます。

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Xの主張

 X(原告)は自分が有利になるような判例・学説をピックアップして、自らの主張を組み立てます。事例で言うと、学説に依拠してー表現の自由の保障を全うするには、その受領の自由を保障する必要があるからー21条1項は、広く知る権利を保障している、自己統治に資する地方議会の傍聴にいたっては、なおさらである、等と主張することが考えられます。

Yの主張

 Y(被告ーだいたい国)も、自分が有利になるような判例をピックアップして、自らの主張を組み立てます。事例で言うと、レペタ事件判決(法廷メモ訴訟判決)は、公開が保障された(憲法82条)裁判という場における「派生原理としての知る権利」の保障に言及したにすぎず、本件とは事案を異にする、等と反論することが考えられます。

主張・反論形式の狙い

 さて、問題はなぜこのような出題形式をとるか、ですが、その狙い(のうち一つ)は、対立構造をとることによって、①判例の基礎的理解、及び②学説の基礎的理解の両方をみたい、というところにあると考えられます。一つの事例を異なる角度から見なくてはならないのでーほぼ必然的に、判例も学説も登場することになるからです(以下、判例 vs 学説答案、等といいます)。まさに、本件事例の上記主張例が良い見本です。

 まあ、受験生としては、判例も学説も両方勉強したはずですから、両方とも出題してくれないと元が取れませんので、これはこれでOKです。

主張・反論形式の弊害

 さて、このように判例と学説の基礎的理解を試せて万歳!な主張・反論形式な訳ですが、昨年、突如として変わってしまいました。筆者は試験問題をみたとき「やったー!出題形式が良くなったー!」と心でガッツポーズをしていましたが(変態的)。今度は、その理由を考察します。

そもそも判例の基礎的な理解が測れない

 一つ目の理由は、なかなか判例の基礎的な理解が測れない、ということにあると思います。こちらは大問題ですね。

学説 vs 学説答案の登場

 主張・反論形式にすると、判例学習をサボった一部の学生が、こんな答案を書きます。X「営利的表現も表現である以上、厳格な審査基準が妥当する」vs Y「営利的表現は、営利的という意味でインセンティブが働くから(中略)、厳格な合理性の基準が妥当する」ーつまり、学説 vs 学説です。とりあえず対立させればOK!答案と呼びましょうか。少なくとも一方は判例に依拠した主張を書いてほしかった出題者としてはガッカリです。罪深さレベル5です。なお、筆者は某予備校の答練で学説 vs 学説を書け、絶対書け、という謎の添削を受けてガッカリした経験があります。

判例の「単なる記憶」

 もうひとつは、単に「こんな判例あるの知ってます」(判例の記憶)だけでは、判例を理解したことにならない、ということです。こちらの方が大事なところなので、敷衍します。

 そもそも憲法は、法理判例と呼べるものが少ないーある判例の規範が直ちに妥当するかがハッキリとわからない(ことが多い)です。憲法が問題になる事件が少ないから、法理判例を出して画一的処理をしなくても良いからですかね。

 そうすると、他の教科以上に、ある事案にそもそも判例の射程が及ぶかを考えることが重要となります。すなわち、単に判例があります、というだけでなく、その理由付けや、利益衡量の要素が目の前の事案にも妥当するかーというところまで押さえてはじめて、判例を理解したことになる、というわけです。試験委員も本当はそこが聞きたいのだと思います。憲法の判例学習については、下記記事でも言及しているので、ぜひ参照して下さい。

  当然、主張・反論形式においても、「そもそも本件に〇〇判例の射程が及ぶか」というところから論証を出発させることが求められています。が、残念ながら「こんな判例がある」と覚えるのに一所懸命で、理由付けや射程までは覚えられなかった~という受験生は、学説 vs 判例の記憶答案にならざるを得ません。でも、こちらは罪深さレベル3くらいですかね。

議論がかみ合わない

 次に、議論がかみ合わない、という問題があります。主に判例と学説の形が違いすぎるーよって立つ理論が違いすぎるーため、主張・反論形式をとると、本件事例におけるXとYの主張でもそうですが、X「判例は知る権利の重要性を理解していない!間違っている!」、Y「(判例を持ち出して、あとは知らんぷり)」という外在的批判・水掛け論的な答案が多くなります。

 相手の主張に乗っかって(相手の主張を取り込んだうえで)返し技に一本背負い投げ!とやるのが普通の議論です。適当な表現ですみませんが。お互いが信じるものが違うよね、では議論になりません。同じ問題の答えを、XキリストとYブッダに聞きに行って、「や~ブッダが正しそうだよね」(あなたの見解)と言っているだけです。

あなた自身の見解の意味がない

 最後に、原告Xの主張、国Yの反論、あなた自身の見解(裁判官Z)と言われても、それぞれの見解から論じたい部分はさんざんX&Yパートで書いちゃったし、結局、「あなた自身の見解」って何書くんや。という問題が脈々と語られてきました。そりゃそうですよね。Xも、Yも、全力で自分が正しいと主張するのですから。これに対する受験界通説は、「結局、あなた自身の見解が最も大切なので、X4:Y1:Z5くらいで書きましょう」というものでした。なるほど。と思いましたが、この定式が正しいとすれば、自分の脳内ですでにまとまっている議論を、いちいち3分割して振り分けなければならない、という謎の作業が発生します。法的三段論法(下記記事参照)のように、振り分けに意味があればよいのですが、そこまでの深い意義を感じません。

リーガル・オピニオン方式

 そこに颯爽と現れたのが、リーガル・オピニオン方式です。なんじゃそれ。知らん。という人は、法務省:平成30年司法試験問題からご参照下さい。あ、初学者の方も、なるべく早く司法試験の問題は「見ておいた方が」良いと思いますよ。解く必要は全くありません。さて、リーガル・オピニオン方式とは、要するに、依頼者に対して、憲法的な問題点について、法律家っぽい意見を言ってくれ!という問題です。

 設問で思いっきり「参考とすべき判例や想定される反論を踏まえて論じなさい。」とある通り、上記の問題点、特に①「判例の基礎的な理解」を問うていることは明白ですね。心憎いポイントが何点かあります。

判例の射程の理解を求めている

 一つ目は、「参考となる判例」という客観的な表現でなく、「参考とすべき判例」という主観的な表現となっていることです。どの判例をひっぱってくるべきか、自分で考えろー日ごろから判例の射程をしっかり理解しておけーということですね。

判例 vs 判例でもよい

 二つ目は、「参考とすべき判例や学説」となっておらず、あくまで「想定される反論」としか表現されていないことです。これまでの主張・反論形式の時に大量生産された、「X学説 vs Y判例」ではなくても良いよ、ということです。Xが参考とすべきと考えた判例と、Yが参考とすべき判例が異なってもよいーすなわち、判例A vs 判例Bでも問題ない、ということです。当然、学説を持ち出してもOKです。

リーガル・オピニオン方式の狙い

 以上検討してきたように、リーガル・オピニオン方式の狙いは明白です。

  1. 「参考とすべき判例」…判例の基礎的な理解を示してくれ。基礎的な理解とは、射程の把握である。射程の把握とは、理由付けと利益衡量の要素の把握である。学説 vs 学説は論外。
  2. 「踏まえて」…かみ合う議論をしてくれ。お互い言いっぱなしではなく、「踏まえて」立論してくれ。
  3. 「論じなさい」…あなた自身の見解だけで、十分OK。

 ここまで理解しておけば、薄々「何を書くべきか(What)」はわかってくると思います。本日の理解のイメージを図示して、まとめとしておきたいと思います。

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出題形式に柔軟に対応する

 上記「狙い」で述べた通り、出題者の意図(出題内容)は、①判例の基礎的理解、及び②学説の基礎的理解の両方をみたい、というところにあり、それは主張・反論形式だろうが、リーガル・オピニオン形式だろうが、変わることはありません。上図で見ても、判例が妥当するか、学説が妥当するか、ということを検討しているという意味では、やっている内容は大して変わらないのです。
 ただ、上記「弊害」で述べた種々の弊害から、出題者の意図を汲み取って(空気を読んで)判例の射程が及ぶか、という丁寧な分析をしてくれる答案が多くなかったため、出題形式という「器」を変えたにすぎません。このように考えると、出題内容自体は一貫して変わっていないのですから、出題形式の変更は恐れるに足りません。というより、下図をみれば分かる通り、そもそも出題形式も(そんなには)変わっていません。

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 私は、「憲法判例の射程」や「判例から考える憲法」に取り組む中で、出題内容である判例の射程分析ー内在的分析に誘導するためには、必ずしも主張・反論形式は適切ではないのではないか、と考えるに至りました。なので、今回の出題形式の変更は、大歓迎だった、というわけです(ドヤ!!!)。出題内容をきちんと把握していれば、出題形式の変更は全く問題が無い、ということです。