だいたい正しそうな司法試験の勉強法

30代社会人。「純粋未修」で法科大学院に入学し、司法試験に一発合格。勉強法・書評のブログです。

基本書の読み方3(応用編・色々手を出すな!?)

 こんにちは、たすまるです。勉強会の参加申し込みが少なくて少し凹んでおります。さて、巷では「色々な教材に手を出すより、一つの教材をやり込んだ方がいいよ」的な事ー以下、「色々手を出すなテーゼ」と言いますーが言われており、受験界通説といって良いのではないでしょうか。しかしながら、筆者は典型的な多読タイプでしたし、かつへそ曲がりなのでこれまた、「そうかな?」と(やや)疑問に思う点があります。

 筆者の考えるところによれば、受験生の30%くらいにとっては、色々手を出すなテーゼは妥当しないーというより、たいして効率的ではないのではないかと思います。70%の人にとっては効率的だからこそ通説ではあるのですが。基本書のインプットで悩んでいる方は、30%の人かもしれませんので、少数説(有力説?)たる本記事を是非読んでみてください。

色々な教材に手を出すデメリット

 さて、色々な教材に手を出すことによるデメリット、すなわち色々手を出すなテーゼの消極的根拠を具体的に考察してみます。

1. 何が正しいのかわからなくなる

 まず、一つ目ですが、法学の教材は実に多種多様で、色々なお考えの先生が書かれているので、「全然違うことが書いてある」し、時には論理構成も結論も、「判例とは180度違います!」なんて場合もあります。色々な教材に手を出せば出すほど「何が正しいのかわからなくなる」-言わば、脳内が百家争鳴状態になってしまう、というものがあると思います。「森に迷う」という表現も好まれますね。

反論1. 全然違うことは書いてない

 まず、ここは法学の教材が最も誤解を受けている部分かと思うのですが、(後述の通り)教材には全然違うことは書いてありません。むしろ、誤解を恐れず言えば、先端的な論点を扱うごく一部の書籍を除けば、市販の教材の内容の大部分(筆者の肌感で70%以上)は、類書と共通のことしか書いていません。

 過去記事でも述べましたが、教材として、市場で一定の評価を得ようと思えば、内容は自ずから似たものとなるはずです。

 筆者もそうだったのですが、多くの場合、「全然違うことが書いてある!」と思ってしまうのは、単に読み手の能力不足ー法学の教材を読み慣れておらず、後述の「つまり読み」ができないーというだけのことです。日本語の文章より、英語の文章の方がニュアンスをくみ取り辛いのと同じことです。要するに、文体や書き方、説明の方法の違いにすぎないのに、「内容が違う」と受け取ってしまうという訳です。

反論2. 判例ともそんなに違わない

 また、近時の学説は、理論的に純粋で美しいかーシンプルな基礎理論から妥当な結論を演繹できるかーを盲目的に追求しているわけではありません。むしろ、判例の内在的理解ー具体的な判例を統一的に説明できる理論は無いかーに力点を置いたものが多く、これに成功した学説が(少なくとも受験生的には)通説的な見解となっている例が多くみられます。

 憲法で言えば、三段階審査の問題意識(の一部)はまさにそれであって、さらには判例の内在的理解そのものをコンセプトとした本が多く出ている訳ですし

 刑訴法の川出説に至っては、むしろ判例が川出先生の後ろからついてきているのではないかと思えるほどです。

 このように、判例が通説化し、通説が判例化する、ということが進展している現在となっては、論理構成も結論も、判例とは180度違う!なんてことはレアです。少なくとも結論は同じ、という学説が多数ですし、結論が違うとしても「20度くらい違うかな…」で済みます。テキトーな表現で申し訳ありませんが。

 以上より、①そもそも内容の70%以上は同じことが書いてあり、②たまに書いてあったとしても結論が判例からズレる学説はかなりレアなので、多読しても「何が正しいのかわからなくなる」というリスクは少ないのではないかと思うわけです。

2. そんな時間はない

 次のデメリットは、そんなに色んな本、読んでる時間無いよね、というやつです。実は、これは「何が正しいかわからなくなる」というのと根拠は同じで、そのデメリットを別の側面からみたものです。

 すなわち、「全然違うことが書いてある」から→「そんなことをいちいち比べてインプットしている時間はない」となる訳です。そうすると、前述の反論が直ちに妥当します。全然違うことは書いてないよね、という訳です。

 結局、「だいたい同じ事が書いてある」のですから、2,3冊の基本書を読むのにかかる時間は、同じ本を2,3度通読するのと大きくは変わらないー少なくとも、2倍、3倍の時間はかからないーはずです。

色々な教材に手を出さないメリット

 これは単純明快で、使い方の良くわからない100の武器よりも、使い慣れた3の武器の方が戦場では役に立つ、というものです。そりゃそうだ。当たり前です。筆者も上記の「素材選び」の記事でも触れましたが、英語@大学受験は「DUO」という英単語集を一冊マスターしただけでした。

 ただ、このテーゼにも注意点があります。それは「使い慣れた」という部分です。筆者は大学受験から約20年経ちましたが、未だに上記DUOの最初の例文を覚えていますー

"We must respect the will of individual."

だったはず(改訂していなければ)。今見ると憲法の教科書かと思いますが(笑)。本を使い慣れる、ということは、その内容を完全に理解し記憶に定着させるということで、本当はとても難しい作業です。DUOのような英単語集をイメージすればすぐにわかりますが、徹底的に潰すー例えば、2度、3度読み返すことはどうしても必要になるはずです。

 確かに、使い慣れた武器の方が役に立つのは間違いないのですが、「役に立つ段階まで一つの教材を使い慣れている」人が果たしてどれくらいいるのだろうか、筆者は疑問に思うわけです。

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色々な教材に手を出すメリット

 筆者は、色々な教材に手を出すことにも、実はメリットがあるのではないかと考えています。だから読んでたわけですけど。大きく言って、2つの種類のメリットがあります。色々な教材と言っても、結局は70%は同じ内容だよね、という内容の共通性に起因するメリットと、いやいや30%は違います、という内容の相違に起因するメリットです。

内容の共通性によるメリット

1. つまり読みで、抽象化に慣れる

 内容の共通性によるメリットの1つ目が、法律書を(効率的に)読むために必須の技法のひとつである、「つまり読み」が身に付きます。

 一応過去記事を振り返っておくと、「つまり読み」とは、一定量の文章を読み下した後に、脳内で「つまり」「要するに」「〇〇〇とは▲▲▲である」と抽象化・一般化する、という読み方のことです。

 初学者は「つまり読み」に慣れていないことから、下手をすると一冊の教材の中でも「前後で矛盾することが書いてある!」と勘違いしてしまうこともあると思います。筆者もそうでした。しかし、上述の通り、一冊の本はおろか、数多ある(売れている)教材は「だいたい同じ内容」が書いてあり、文体や書き方、説明の方法が異なっているに過ぎません。 予習・復習法の過去記事でも述べましたが、色々な先生のおっしゃる内容の大部分には共通性があるわけです。

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 「A書のこの部分と、B書のこの部分は結局同じことが書いてあるはず。それはつまり…」と、色々な教材の「共通知」を頭で括りだす作業は、抽象化&一般化の最高の訓練となります。

2. 良い論証を覚える

 これは、1.の「つまり読みで、抽象化に慣れる」というメリットの副産物です。上記の通り、「…つまり、A書とB書は同じことが書いてある」と抽象化ができると同時に、「…でもB書の方が分かり易い。なんでだろう?」と気づき、考えることによって、同じ内容でも(自分にとって)より説得力のある表現を発見することができます。つまり、より良い論証パターン(の見本)を発見することができるわけです。さらに、自分にとってより説得力がある、ということはイコール自分の記憶に残りやすい、ということです。

 このように、色々な教材に手を出すことは、抽象化の訓練と同時に、具体的な表現方法ー論証パターンの向上にもつながるという訳です。

3. 繰り返し通読したことになる

 上記の通り、「一つの教材を使い慣れ」ようとすれば、一つの教材を2,3度通読することが必要となります。なお、これは「行為として」何度も通読する、ということではなく、「結果として」何度も通読したことになる、という意味です。しかるに、同じ本を何度も通読することは、なかなか難しいです。特に、筆者のような飽きっぽいタイプには、至難の業です。

 色々な教材に手を出すと、少なくとも表面的には別の文章を読むことになり、好奇心を刺激することができます。もっとも、内容はだいたい同じですから、「ああ、どっかで見た見た」と思いながら複数の本を読むことになり、結果的には同じ本を何度も通読するのに近い効果ーというよりも、同じ内容を別の表現でインプットする訳ですから、より高い効果をー得ることができる、という訳です。

 暗記するためには、同一の情報に、様々な「出会い方」で触れた方が良い、ということについては下記記事をご参照下さい。

内容の相違によるメリット

 以下の4点は、30%の内容的な違いに起因するものです。すなわち、色々な教材に手を出さないと獲得できないメリットです。

4. 問題意識の回収

 なぜ30%は内容の相違が出るかというと、当然ながら、筆者の先生によって問題意識が異なるからです。後述の学説の違いとは異なることに注意して下さい。あくまで、著者の先生が「こんな学問的・実務的な問題があるなあ」と考える、ということが「問題意識」の違いです。

 そして、これまた当然ですが、司法試験の問題は(適当適切な)研究者・実務家の問題意識から作られるものです。もちろん、「法律家として最低限押さえておいて欲しいジョーシキ」ー「基礎的な理解」や「基本的事項」とされる内容、も出題されますが、高い問題意識に日ごろから触れていれば、楽しく問題を解くことができます。「良好に属する」から「優秀に属する」答案が書けるようになる訳です。

 あまり抽象的に「高い問題意識」とか言ってもよくわからないと思いますので、どこまでが基礎的な理解で、どこからが高い問題意識ー優秀答案となるかについては、下記記事を(ぜひ!)参照してみて下さい。クロスリファレンス方式。

 色々な教材に手をだすことで、色々な問題意識に出会うチャンスが増えます。平成30年司法試験も「高い問題意識」については、そのものズバリが下記書籍で扱われていました。

5. 有利な学説の回収

 最後のメリットは、有利な学説の回収です。30%の内容の相違の大部分は、著者の先生の自説の展開です。このような、多種多様な学説があるよーという情報は、(リーガルクエストシリーズなど多説紹介型の教材を除くと)色々な教材に手を出さなければ知ることはできません。

 「私は井田説」「俺は山口説」に始まる「I am 〇〇説」は法科大学院あるあるのうち最も有名なもののひとつです。このような会話の少なく見ても過半数は受験対策として不要ーを通り越して有害であることが多いように思います(毒舌)。その理由はまさに前述の色々な教材に手を出すことによるデメリットー森に迷った状態を反映しているに過ぎないからです。

 しかし!よくよく考えてみると、多種多様な学説がある、ということ自体を知ることは全くもって有害ではありません。基本的事項や自説をしっかりと押さえられないが故に、何が正しいかわからなくなっている、という状態がまずいのです。

 加えて、近時の司法試験では「そもそも多種多様な学説があるのは知っていますか」という問題にとどまらず、「多種多様な学説を適用するとどうなりますか」という問題まで出題されています。

 上記の記事でも簡単に検討した通り、多様な学説の(基本的な)論理構造を押さえておくことは、直ちに司法試験に役立ちます。のみならず、メインウエポン(≒ベースとなる基本書)で自説をしっかりと押さえておいた上で、多様な学説を軽く押さえておくと、「目の前の問題を最もうまく処理できる学説ー有利な学説を選択できる」ようになります。というより、なるはずなのです。通説的な処理だと妥当ではない結論となる問題領域があるからこそ、多様な学説が生まれるからです。

 色々な教材に(上手に)手を出すことによって、有利な学説を回収することができます。この5.のメリットについては、なかなか高度なテクニックなようにも思えますし(実はそんなことはありません)、具体例が無いと想像し難いかと思いますので、「有力説・反対説を学ぶメリット」というような形で、具体的事例を交えて記事にしたいと思います。

まとめ

 以上の通り、色々な教材に手を出すことはデメリットは(思ったより)小さく、色々なメリットもあります。かといって、全ての受験生に直ちにおススメできるようなものではないことは、冒頭に述べた通りです。筆者にも、一つの予備校教材を徹底的にやり込むことによって、上位合格した友人がいます。それでも、色々な教材に手を出した方が良い30%の人がいるーと筆者は思うわけです。まとめると、

  • (主として飽きっぽいため)どうしても一つの教材を潰せないー2度,3度通読できない人
  • より良い表現(論証)、多様な問題意識、多様な学説に触れるメリットを生かして上位合格を狙う人

には色々な教材に手を出すことはおススメです!実際、筆者はこのブログの写真のような膨大な書籍を読んで本当に良かった~と感じているため、主観に基づいてこの記事を書いてみました。参考になれば幸いです。

 この記事の続編はこちらです↓