だいたい正しそうな司法試験の勉強法

30代社会人。「純粋未修」で法科大学院に入学し、司法試験に一発合格。勉強法・書評のブログです。

司法試験予備校は利用すべきか?

 こんにちは、たすまるです。答案添削を始めたこともあり、ここ最近初学者~中級者の皆さんの答案をよく読んでいるのですが、「や、ていうか、予備校行った方が良くないか!?」と感じることが多々あったので、(炎上覚悟で)予備校利用の是非を考えてみたいと思います。

筆者の予備校歴

 まず、筆者たすまる自身の予備校利用についてですが、下記記事の通り、筆者は模試・答練(つまり勉強の最終段階)でしか予備校を利用していません。

 なぜかと言いますと、

1. 自信過剰だった

 これはまぁ生まれもっての性格で、「俺レベル司法試験なんて楽勝である」という謎の勘違いがあった、というのが大きいです。「予備校っていうけどさ、そもそも予備っていうワード自体が気に入らん。俺に予備は不要。」みたいな謎のプライドも併せ持っていました。めんどくさい奴です。そんな訳で、上記の勉強史の記事通り、そもそも塾自体ほとんど行ったことが無かったわけですね。

2. 法科大学院を信用していた

 「それなりに有名な大学の法科大学院行って、マジメに勉強して司法試験落ちるわけないじゃん」という具合で、大学等の教育機関や、教員の先生方を信用していた、というのもあります。

 「法科大学院でマジメに勉強して落ちる人もいるよ」という意見もありますが、筆者は「それは相手(法科大学院)じゃなくて、自分の努力の方法が間違ってたんじゃないの」と考えるタイプでした。法科大学院の過去の実績を参照すれば、(普通は)成績と司法試験合格との間に明らかな相関性が認められますので。

 上記の「自信過剰」と相反するのでは?と思われるかもしれませんが、自分には自信があるからこそ、安心して他者ー法科大学院を信用していたような気もします。

3. いつまでも「基本書が難しい」では困る

 これが実質的な理由でしょうか。冷静に考えると、司法試験に合格することそれ自体が目的なのではなく、法曹になって社会に面白い影響を与える仕事をしたり、教員になって研究をしたり、バリバリお金を稼いで面白い事業を起こしたり、ということが目的なわけです。

 そもそも、基本書などは、有名大学の教授等、社会通念上は優秀だとされている方々が、可能な限りわかりやすく書いた教材のはずです。そうだとすると、これが「難しい」と感じるのはしょうがないとしても、「他人の手助けがないとわからない」では困ってしまいます。司法試験の合格が覚束ないということもありますが、そもそもそんな読解力では、上記の「真の目的」を達成できないー合格後に活躍することが難しくなってしまうからです。世の中には、井田刑法や宍戸憲法の何百倍も難しく、分量も多い文献なんていくらでもあるからです。

 アウトプットや、友人とのインタラクションで勉強法を改善することももちろん大切です。しかしながら、結局はインプットが無ければ「ただの空洞」でしかなく、空洞を埋めていく素材ー教材は世界の隅々から独力で拾ってこなければなりません。初めて接する事物や概念が理解し難いのは当たり前のことで、大切なのは、そこで我慢して何とか独力で理解しよう、という忍耐力です。そのトライ&エラーで読解力が身についていくのですから、予備校に行く必要はないな、と考えたというわけです。

予備校利用についての再検討

 …という考えー予備校有用だが不要論ー自体は、現在も基本的には変わっていません。が!上記をお読みいただけばわかる通り、これは原則として「筆者のようなカテゴリー人」-すなわち、

  • 学習方法:法科大学院
  • 学習進度:相対的上位の成績が取れている

について妥当しそうな考え方にすぎません。ところが、下記記事でも触れた通り、

本ブログの読者には、

  • 学習方法:独学(含む法学部生)
  • 学習進度:初学者

が意外と多い、ということがわかってきました。そして、そうなってくると予備校についての考え方もかなり変わってくるような気がします。というか変わりました。

独学者ー客観的評価の重要性

 と言いますのも、筆者が、凡そ学習にとって最も重要、と考えている要素は、客観的評価です。

  1. 学習の成果や方法論は、ビジネスの成果&方法論ー基本的にコスト&メリットというお金ーと比べて把握し辛いということが一点。つまり、比較相手ー「見本」が必要。
  2. そして、それ以上に重要なのが、法律は説得の技術で、答案はプレゼンテーションである以上、常に読み手ー第三者の評価を(それが正しいか否かに関わらず)意識しなくてはならないということ

 という二種類の「客観的評価」がありますので、それぞれ敷衍します。

①比較相手を獲得できるか

 下記記事(特に「5.優秀な同期を発見しておく」)で述べた通り、勉強法を確立する上でもっとも簡便なのは、「優秀なライバル」を発見し、自分にも応用できそうなところを全部パクる、という方法です。これぞ王道。まあビジネスにおいても概ね正しい方法論です。

 法科大学院に入学すれば、この「優秀なライバル」はいとも簡単に発見できます(仲良くなれるかは別)。あとは、勇気を出して話しかけ、勉強法を盗んでいくのみです。

 筆者は本ブログで偉そうな事をガタガタ言ってますが、結局のところTくん(共同執筆者)という同期をナンパして、彼をベンチマークに設定し、その問題に対する考え方、勉強に対する取り組み方を彼から学んだ、ということが最大の勝因です。

 ところが(当然ですが)独学者にはそもそも一緒に勉強する仲間がいませんから、比較相手を獲得することができません。これは、勉強法や学習計画を確立する上では相当痛い、というかクリティカルです。

②読み手を意識できるか

 独学ー比較相手がいない、ということのもう一つの側面は、成果物である答案の評価者、読み手がいないということです。下記、「答案の書き方」シリーズで散々述べましたが、答案とは「出題者(採点者)の問いに対する応答」です。コミュニケーションです。答案を作成する際は、常に読み手(出題者・採点者)を意識して書かなければなりません。

  という訳で、答案作成力は外国語のSpeakingと全く同じで、基本的には(読み手に)フィードバックをもらうほど、身についていく筋合いのものです。つまり、「自分の立論を第三者(読み手)に聞いてもらい、感想を述べてもらう環境はほぼ必須であるように思います。

 そして、この「読み手のいる環境」というのは、必ずしも答案とその添削だけを指している訳ではありません。なお、上記で「答案」ではなく「立論」としている通りで、このような法的立論は口で話すことによっても相手に伝えられます。筆者も、上記Tくんや法科大学院の優秀な仲間たちと、

  • 〇〇という条文の、▲▲という要件についてはどう考える?(問題提起)
  • ▲▲の趣旨は~だから、▢▢でいいんじゃないの。(規範定立)
  • 本件の事実✕✕でみると、▢▢には該当しない、という結論かー。妥当かなあ?(あてはめ・結論)

 というような形で、日々数回は議論していました。このような日々の会話ー伝わったり、伝わらなかったりーという経験から、読み手に対する意識が高まり、答案の書き方が徐々に身についていきます。独学者の場合、このような「読み手(とその評価)への意識」をつけるのは大変難しいのではないでしょうか。いわばそれは、一人で正しい外国語のSpeakingを身につける難しさです。

初学者ー法律学習の独特性

 次に、過去記事でも触れましたが、初学者(法学未修者)の学習については、

  • 未修者が初年度の1年間で既修者に追いつくことは相当に困難である
  • 法学未修者については、3年間の課程で司法試験に合格するのは極めて困難である

 とされており(法科大学院等特別委員会(第94回) 配付資料:文部科学省 同資料より抜粋)、その理由は、

  • 法律は敷居の高い学問で、その敷居を超えるのに時間がかかる人がおり(略)
  • 法学未修者(とりわけ初学者である非法学部出身者,社会人経験者)は,既修者に比して,学修方法を身につけることに困難が存すること,法的能力修得過程が「段階的」ではなく「らせん型」であること,孤独感を抱きがちであ
    ること

 等とされています(上記資料)。基本的には筆者も全く同意見です。法律の学習は、振り返ってみれば、「まあ、英単語みたいに重要な基礎概念を覚えて、数学みたいに論理展開するっていう、至ってノーマルな学問だよね」というものです。

 が、冷静に考えると、「じゃあ、英文法や微分積分を誰にも教えてもらわず教科書だけでマスターできるか?」と考えてみると、これはかなり困難な作業であることが分かります。それを成し遂げた明治時代の偉人を尊敬。これが「敷居」の問題かと思います。

 また、法律学習は、数学のようにA(足し算)がわかるから→B(掛け算)がわかり→最終的にC(方程式)がわかる、というような段階的な修得過程ではないことは間違いありません。むしろ、初学者が取り組む民法総則でも十分難しく、契約法までやってようやく民法総則が理解できる、というような構造があります。でも「らせん型」ってどういう意味なんだろう?

 下記記事でも述べた通りで、予備校や法科大学院の先生は「敷居でつまづいた人たち」を無数に見てきており、なんとか敷居を超えさせて、法的能力を習得させてきた人たちですから、初学者の段階では、とりあえず先生の力を借りておいた方が無難です。

原則として、予備校を利用すべき

独学者・法学部生の方

 という訳で、独学者ー客観的評価が難しい初学者ー敷居を超えられない、という理由から、(原則として)初学者で独学はやめとこう、予備校か法科大学院に入ろう、というのが筆者の一応の結論です。後述の通り、よっぽどの自信やオリジナリティがある人は別です。

法科大学院生の方

 次に、法科大学院生の方も、一部の方は予備校を併用した方が良いように思います。もっとも、法科大学院も予備校も(マジメにやれば)どちらか一つだけでも十分ハードワークなので、予備校を併用した場合は「法科大学院で良い成績をとるのは(合格のため!)完全に諦める」ということになります。

利用するか、しないかの判断基準

 これは非常に単純明快です。要するに、1年以内に(2~3年後の)司法試験合格のボーダーラインに達することができる自信がある or 達することができた、のであれば予備校を利用する必要性はありません。そのような方は、①客観的評価を十分意識できており、②法学の敷居を超えられたであろう、と推測できるー一定の成果を出せる勉強法を確立した、と判断できるからです。

 ボーダーラインか否かは、所属する母集団ー法科大学院の成績で判断するのが簡便です。筆者の通っていた法科大学院ですと、未修の上位20%くらい、既修の上位40%くらいが司法試験合格レベル、という成績ー司法試験の相関関係があったので、ボーダーラインはだいたいこの辺りにあることになります。

  

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 未修でも既修でもなんでも良い(筆者は既修をおススメ)のですが、1年以内にこのボーダーラインに達する自信がある or 実際に達したのであれば、予備校を利用する必要性は高く無いわけです。なお、独学者の方は評価対象の母集団が無いことになりますが、反対に、「1年後に上位ロー(or 中位ローの成績上位)の既修者コースに(楽々)合格できる自信があるかどうか」というところがボーダーとなります。

 筆者の場合、(上記「自信過剰」の通り)まさに「自信あり!」だったので、予備校に行かなかった、というだけのことです。確実にこのボーダーを超えられる自信や超えた実績が無い方は、上記①客観的評価に対する意識付けができていないか、②法学の敷居を超えられていないわけですから、予備校を利用した方が安全です。特に、厳しい言い方になりますが、未修で下位50%の方は(少なくとも短期間での)司法試験合格可能性が非常に低いということですから、速攻で予備校に通うべきであるように思います。

 なお、筆者の法科大学院で上記ボーダーを超えていた人はほぼ全員合格しましたが、その中で予備校利用経験ゼロ!の人は筆者ともう一人しかいなかったー全体の10%未満でした。その他の大多数の優秀な同期は、みな法学部生時代に予備校の講座は一通り学習済みだったわけで、(残念ながら?)これが現実です。

予備校を利用できない場合

 絶対に予備校は利用したくない! or お金がない!という方は、とにかく①客観的評価に対する意識付け、②敷居を超える、ためにひたすらアウトプット&フィードバックを繰り返すしかありません。これについては、下記記事もご参照下さい。

どこの予備校が良いのか?

 こればっかりは、予備校に通ったことが無い筆者には全く!わかりません。基本的には、お財布事情と(正確な)合格実績で選ぶのだと思います。もっとも、上記の「勉強法の王道」に鑑みると、

  • (なんとなく)真似したくなり、かつ真似しやすそうな思考枠組み・表現方法・勉強方法をとっており
  • 加えて、オリジナリティを付け加える自由さを与えてくれる

 という講師の先生がいるかどうかで決めるのが良いのではないでしょうか。結局は、学校ではなく、教師に教えてもらうわけなので。もっとも、本ブログの他の執筆者の皆さんはいずれも予備校経験者なので、他に予備校選びのポイントがあれば聞いてみたいところです。